ことばで感情を揺さぶる方法をぼくは知らない
メンタリストDaigoさんの本を読んでいます。
文章の目的は人を動かすこと
— なえ@はてなブロガー (@__NAE__) October 26, 2016
人は論理でなく感情で動く
こないだ書いた記事と全く同じことが書いてあるぞコレhttps://t.co/WBiIsYfOBx
立ちはだかったのは、知っていることとできることの壁です。
メインブログでストーリーテリングの話と絡めて人を動かす文章とはなにかを考えた記事を書きました。
人を動かすのはロジックでなくストーリー。ストーリーテリングこそ個人ブログの強み - NaeNote
わかってはいますし、自分自身なにをトリガに動いているかと言われれば、間違いなく感情です。
情報やロジックで納得感が高まり、最後に自分の背中を押すのが心に響く人のことばだったり。
自分はそうなのに、同じことを人にするとなると上手にできません。どうしても説明、論理、順序、筋道のような、ドライで冷たい「整った話」になってしまいます。
上の記事の最後に「ストーリーテリングはぼくも初心者です」と書いたのはそのせい。
もどかしい。
思い返すと、ずいぶんと前から整えた話しかしていないように感じます。
理性が感情を上回り、内なる言葉を整流化して外に出してくる。喜怒哀楽はあれど、理論という強い鎧を貫通することはなく、ところてんのように整ったものしか出てこない。
逆もまた然り。感情的な罵声をいくら浴びせられても、ネガコメをいくらもらおうとも、理論のレイヤが分析・解釈・補完した情報を内側に流し込んでくるので、鎧に守られた感情のコアはびくともしません。
メインブログで過去に理論武装の話を書きました。これはぼく自身の話です。
理論武装と心の強さの関係 理詰めする人ほど実は豆腐メンタル - NaeNote
学生時代、友人にこう言われたことがあります。
「おまえ口は笑ってるけど目は笑ってないよな」
はっとしましたよね。それ以降、意識して感情を表に出す練習をしてきました。
感情はある。しかし表現するのが下手くそ。内なる言葉の解像度がいまだに低い。
学校を卒業してだいぶたち、結婚して子供ができても未だぼくはぼくのまま。
そのブレイクスルーにブログという場を使えればと考えるようになりました。
ことばに感情を込めるという練習、こっちのブログでちょこちょこやっていきたいと思います。
仕事だとできてるのは、そういうペルソナをかぶっているからかもしれない。
(約1100文字)